2015年9月16日水曜日

移住はしたけれど

移住したはいいが、現金収入がないのが一番の悩みの種である。

分かってはいたが、これがどうにもならないくらいにないのである。贅沢は言ってられないとあきらめて好きでもない仕事をするのか、武士は食わねど高楊枝とやりたいことだけをやるのか、この二択に迫られる。

生活するには一定の生活費が必要で、これを稼がなければ生活はできない。では、生活費を稼げばやりたいことができるのかというと、稼ぐことで精一杯で、やりたいことをやる気力も体力も残っていない。結局、やりたいことなどできはしないのである。

ならば、あえてやりたいことをやる道を選ぶべきであるという結論に達するわけだが、とはいえ、なにもしなくても腹は減る。やりたいことをやっていれば、余計に腹が減る。やりたいことをやるにはエネルギーが必要だからである。

ここが我慢のしどころとやりたいことに専念しようとしても、それに対する反応も評価もないとくじけそうになる。ここでくじけてしまっては何のために移住までしたのか訳が分からなくなる。

思い起こせば、移住に至った動機は311である。311がここまで連れてきたのである。内部被曝の恐怖が、安全な食材のある場所へと導いたのである。そこで店をやろうと思ってきたのである。

しかし、思いの外移住先の飲食店は繁盛していない。繁盛していないどころか閑古鳥が鳴いている。東京でもそうなのだから、当たり前といえば当たり前のことである。現地でそれを目の当たりにして再確認したまでのことである。

店をやるには店舗が必要なのに一向にそれが見つからない。見つからないから、見つかるまで自宅でやることにしようと思う。だが、東京ならまだしも大子町まではおいそれときてはくれない。だから、通販をやることにした。

通販は東京のお客さんが対象であるが、反応があるわけではない。遠くで見ているという感じである。これには参った。地元でも反応なし、東京でも反応なしでは移住した意味すらなくなってしまいかねない。

今こそ正念場だと思うが、正念場を大して体験したことがないので、とまどうばかりである。