2015年12月18日金曜日

ビストロ・ヒロのECサイト

ECサイトを作ってみた。これまで、FBグループでのみやっていた通販だが、カード決済をご希望の方がいて、今のページでは銀行振込のみで面倒臭いから申し込まないという方がいたからだ。

作ると、立て続けにお申し込みがあって、それはそれでいいのだが、送料の着払いができなかったり、キャンセルができなかったりと、不備がないわけではない。無料なので、まー文句を言えた筋合いでもないのだが、楽天やAMAZONに慣れている人が注文した時にクレームの対象になるんじゃないかと危惧していたのだが、あまり気にはしていないようである。

作った以上は、FBグループメンバー以外の人々に対してこのサイトへの誘導を掛けなければ意味がないので、とりあえずGOOGLE PLUSとPinterestに写真とサイトのURLをつけてアップしておいた。TWITTERは、FB PAGEと連動させてあるので、FB PAGEに商品掲載を頻繁に行っていくことで集客対策としようと思う。

しかし、10月からスタートした通販だが、現在の2倍程度の受注が限界なので、あまり積極的に集客してしまうとこなせなくなってしまうのが悩みの種ではある。w

ビストロ・ヒロECサイトはこちらです。


2015年9月16日水曜日

移住はしたけれど

移住したはいいが、現金収入がないのが一番の悩みの種である。

分かってはいたが、これがどうにもならないくらいにないのである。贅沢は言ってられないとあきらめて好きでもない仕事をするのか、武士は食わねど高楊枝とやりたいことだけをやるのか、この二択に迫られる。

生活するには一定の生活費が必要で、これを稼がなければ生活はできない。では、生活費を稼げばやりたいことができるのかというと、稼ぐことで精一杯で、やりたいことをやる気力も体力も残っていない。結局、やりたいことなどできはしないのである。

ならば、あえてやりたいことをやる道を選ぶべきであるという結論に達するわけだが、とはいえ、なにもしなくても腹は減る。やりたいことをやっていれば、余計に腹が減る。やりたいことをやるにはエネルギーが必要だからである。

ここが我慢のしどころとやりたいことに専念しようとしても、それに対する反応も評価もないとくじけそうになる。ここでくじけてしまっては何のために移住までしたのか訳が分からなくなる。

思い起こせば、移住に至った動機は311である。311がここまで連れてきたのである。内部被曝の恐怖が、安全な食材のある場所へと導いたのである。そこで店をやろうと思ってきたのである。

しかし、思いの外移住先の飲食店は繁盛していない。繁盛していないどころか閑古鳥が鳴いている。東京でもそうなのだから、当たり前といえば当たり前のことである。現地でそれを目の当たりにして再確認したまでのことである。

店をやるには店舗が必要なのに一向にそれが見つからない。見つからないから、見つかるまで自宅でやることにしようと思う。だが、東京ならまだしも大子町まではおいそれときてはくれない。だから、通販をやることにした。

通販は東京のお客さんが対象であるが、反応があるわけではない。遠くで見ているという感じである。これには参った。地元でも反応なし、東京でも反応なしでは移住した意味すらなくなってしまいかねない。

今こそ正念場だと思うが、正念場を大して体験したことがないので、とまどうばかりである。




2015年7月23日木曜日

移住することについて



また移住を考えている。今までに30回くらいは引越ししているのだが、またまた移住の血が騒ぐ。
目的が人を動かすわけだが、今回の移住の目的は、これまでのような目的とはいささか異なる。311以降、移住先を探してきた延長線上で見つけた目的だからだ。
移住のネックになるのは仕事で、現状の仕事が移住先でもできることを優先的に考えるのが一般人。だが、結論から言ってその考えを捨てなければ移住はできない。移住先に、現状と同じ仕事は皆無だからである。
ならば、どうすればいいかというと、移住先に合わせて仕事を変えればいいのである。こんな当たり前といえば当たり前のことに気づくのに4年もかかってしまった。
だが、無駄とは思わずにこれから着々と進めることで、4年間を取り戻そうと思う。人生をリセットするにはいささか遅くなってしまったのだが、311以降の生き方を模索するには4年間は短すぎる時間であったとも思える。311は、われわれすべての日本人にドラスティックなライフスタイルの転換を要求しているのだから。

2015年6月26日金曜日

IT業界から飲食業界へ

IT業界に50歳から65歳まで関係していた。

この間、ウェブマーケティングの最前線で、広告やシステム開発に携わって、それなりの成果も上げてきた。しかし、311以降、IT業界が放射能汚染対策などに貢献したという話は聞いたことがない。実際、IT業界にあって、何ができるのかを散々考えたが、何もできないまま来てしまった。

幸い、わたしは食に関しての興味が強かったので、真っ先に安全な食べ物の確保に動いたし、移住先を探すことも始めた。

だが、世の中は311以降日本がドラスティックに変わったにもかかわらず、すべてが311以前の規範で動いていることに愕然たる思いをさせられることの連続だった。

放射能汚染に対して、今すぐ自分が始められることは何なのかを考えた。そこから始めるしかなかった。

わたし自身は、内部被曝対策として、安全な食べ物を入手し自分で食事をしているが、このことに気づいてすらいない人々が多すぎるということに気づいた。

また、流通産業も外食産業も内部被曝に対して無頓着であるばかりでなく、率先して内部被曝の促進に邁進している。

個人的にはこれらの罠から回避できても、回避する必要性すら感じていない人々に教えなければいけない。まずは、このことを教えることから始めよう。安全な食べ物を食べることで、外部被曝以上に身体を蝕む内部被曝を回避してもらおう。

こうして、わたしはIT業界を捨てて飲食業界に参入することになったのである。

2015年6月13日土曜日

食べ物について考える

食べ物は最低安全でなければならない。人が口にするものである以上、これは当たり前のことである。

311前は、国も県も地方自治体も生産者もこれを当たり前のこととして認識し、安全な食べ物の生産と流通を実行してきた。

ところが、311後に行われていることは、これと180度違うことである。安全基準値を生産される食べ物に合わせて引き下げて行き、ついに放射性廃棄物のレベルにまで引き下げた。

今日本で流通している食物の中には、すでに人間が食べるものではないものが多くある。

台湾は、福島、栃木、群馬、茨城、千葉5県からの水産物の輸入を禁止している。これは、きちんと農水省のウェブサイトに掲載されているが、マスコミが報じることはない。http://www.jfa.maff.go.jp/j/kakou/export/taiwan_oshirase.html

また、世界各国の輸入禁止措置はますます厳しさを増しているにもかかわらず、日本国民だけが「食べて応援」をマスコミの不作為によって強いられている。
http://www.maff.go.jp/j/export/e_info/pdf/kisei_all_150522.pdf

このような国にあって、安全な食べ物を口にしたいという最低にして根源的な欲求を満たすすことは困難になりつつある。

生産者がまっとうな食べ物を作っても流通が安全でないものを混ぜて販売することは日常茶飯事。福島沿岸の魚を青森まで持って行ったり、金沢まで運んで日本海産として販売していたという例もある。

これからは、マスコミも流通も当てに出来ないのだから、信頼できる生産者と直接つながるか、自ら生産者にならなければ、本当に信用できる安全な食べ物は入手出来ない時代になっていると言えるだろう。