2018年3月12日月曜日

「常陸大黒チーズケーキ」に関する残念なお知らせ

2016年6月に、クラウドファンディングにご参加いただきました皆様には「常陸大黒チーズケーキ」の第1号をお送りしましたが、そのときに、2016年の秋口から商品ラインに乗って一般販売されることが決まっていました。
秋になっても連絡がないのでおかしいなとは思っていましたが、しばらく待ってみようと思い、連絡はしませんでした。
ところが、昨日、2017年7月3日、コラボ先であるお菓子メーカーが自己破産し、商品化のめどが立たなくなりました。
昨年1月から6月まで、半年を掛けて開発した商品でしたが、販売されることなく終わってしまうのは実に残念なことです。
69年の歴史あるお菓子メーカーでしたが、新商品の投入に踏み切っていればと決断力と実行力のなさが惜しまれます。

写真:クラウドファンディングにご参加いただいた皆様にお送りした第1号「常陸大黒チーズケーキ」

火星のタイムスリップ

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?の作者フィリップKディックの小説、火星のタイムスリップを読んでいる。やはり火星人は未開人として登場してきて、地球人とは相容れない。w

映画「カーラヌカン」

この映画は、第1作目の浜野御大の作品「さかなかみ」のラブストーリーヴァージョンである。
「さかなかみ」では、幻のイトウを追う老フライマンが主役、カーラヌカンでは幻の女を追う有名カメラマンが主役である。
キーワードはイニシエーション(通過儀礼)、メタモルフォーゼ(変身)。そのシンボルとしての蝶。
デステニーを予言し、行くべき道を指し示す導師としての蝶。時間、空間を自由に行きかう真海の色即是空、空即是色。
真海との出会いは光の発心。真海にとってはメタモルフォーゼのトリガーである。
「愛になる」とは、何ものにもとらわれずにものごとに対峙すること、在るものを在るがままに受け入れること。即ち解脱。ビートルズの「Let it be」の世界である。
ラストカットの光の決め台詞は、うちなーぐち(沖縄語)の本来の意味として使われている。その意味とは、語源に照らせば「自然と、ひとりでに」を意味する『なんくる』、「成る」を意味する『ない』、終助詞『さー』がついたもので、「自然と(あるべき様に)なるものだ」という意味である。
しかし、ここはドリスデイの名曲でヒッチコック映画「知りすぎていた男」のテーマソング、「Que Sera, Sera」でもぴったり来そうだ。

2016年2月2日火曜日

大子移住5ヶ月目

2月1日で大子滞在丸5ヶ月。そ、移住じゃなくて滞在してるって感じ。長逗留。
現在、新商品開発コラボ進行中。予定通り。ただ、もう2、3社並行してやりたいけど、大子じゃ絶対数が足りない。大子、茨城で探すより、東京で探したほうが早いかも。
で、次の目標であるSEO、SNS関連のクライアント開発に入る。問題は、バジェット。50万/月払いましょうという企業は皆無だろう。
懐具合と今の季節が見事にリンクしていて厳冬であるが、春の訪れの予感はある。
まー、そんなところである。

2015年12月18日金曜日

ビストロ・ヒロのECサイト

ECサイトを作ってみた。これまで、FBグループでのみやっていた通販だが、カード決済をご希望の方がいて、今のページでは銀行振込のみで面倒臭いから申し込まないという方がいたからだ。

作ると、立て続けにお申し込みがあって、それはそれでいいのだが、送料の着払いができなかったり、キャンセルができなかったりと、不備がないわけではない。無料なので、まー文句を言えた筋合いでもないのだが、楽天やAMAZONに慣れている人が注文した時にクレームの対象になるんじゃないかと危惧していたのだが、あまり気にはしていないようである。

作った以上は、FBグループメンバー以外の人々に対してこのサイトへの誘導を掛けなければ意味がないので、とりあえずGOOGLE PLUSとPinterestに写真とサイトのURLをつけてアップしておいた。TWITTERは、FB PAGEと連動させてあるので、FB PAGEに商品掲載を頻繁に行っていくことで集客対策としようと思う。

しかし、10月からスタートした通販だが、現在の2倍程度の受注が限界なので、あまり積極的に集客してしまうとこなせなくなってしまうのが悩みの種ではある。w

ビストロ・ヒロECサイトはこちらです。


2015年9月16日水曜日

移住はしたけれど

移住したはいいが、現金収入がないのが一番の悩みの種である。

分かってはいたが、これがどうにもならないくらいにないのである。贅沢は言ってられないとあきらめて好きでもない仕事をするのか、武士は食わねど高楊枝とやりたいことだけをやるのか、この二択に迫られる。

生活するには一定の生活費が必要で、これを稼がなければ生活はできない。では、生活費を稼げばやりたいことができるのかというと、稼ぐことで精一杯で、やりたいことをやる気力も体力も残っていない。結局、やりたいことなどできはしないのである。

ならば、あえてやりたいことをやる道を選ぶべきであるという結論に達するわけだが、とはいえ、なにもしなくても腹は減る。やりたいことをやっていれば、余計に腹が減る。やりたいことをやるにはエネルギーが必要だからである。

ここが我慢のしどころとやりたいことに専念しようとしても、それに対する反応も評価もないとくじけそうになる。ここでくじけてしまっては何のために移住までしたのか訳が分からなくなる。

思い起こせば、移住に至った動機は311である。311がここまで連れてきたのである。内部被曝の恐怖が、安全な食材のある場所へと導いたのである。そこで店をやろうと思ってきたのである。

しかし、思いの外移住先の飲食店は繁盛していない。繁盛していないどころか閑古鳥が鳴いている。東京でもそうなのだから、当たり前といえば当たり前のことである。現地でそれを目の当たりにして再確認したまでのことである。

店をやるには店舗が必要なのに一向にそれが見つからない。見つからないから、見つかるまで自宅でやることにしようと思う。だが、東京ならまだしも大子町まではおいそれときてはくれない。だから、通販をやることにした。

通販は東京のお客さんが対象であるが、反応があるわけではない。遠くで見ているという感じである。これには参った。地元でも反応なし、東京でも反応なしでは移住した意味すらなくなってしまいかねない。

今こそ正念場だと思うが、正念場を大して体験したことがないので、とまどうばかりである。




2015年7月23日木曜日

移住することについて



また移住を考えている。今までに30回くらいは引越ししているのだが、またまた移住の血が騒ぐ。
目的が人を動かすわけだが、今回の移住の目的は、これまでのような目的とはいささか異なる。311以降、移住先を探してきた延長線上で見つけた目的だからだ。
移住のネックになるのは仕事で、現状の仕事が移住先でもできることを優先的に考えるのが一般人。だが、結論から言ってその考えを捨てなければ移住はできない。移住先に、現状と同じ仕事は皆無だからである。
ならば、どうすればいいかというと、移住先に合わせて仕事を変えればいいのである。こんな当たり前といえば当たり前のことに気づくのに4年もかかってしまった。
だが、無駄とは思わずにこれから着々と進めることで、4年間を取り戻そうと思う。人生をリセットするにはいささか遅くなってしまったのだが、311以降の生き方を模索するには4年間は短すぎる時間であったとも思える。311は、われわれすべての日本人にドラスティックなライフスタイルの転換を要求しているのだから。