2018年3月22日木曜日

火星漂流記1

ディストリクトK67は、360度山に囲まれている。空を見上げると、山の端から被せられたドーム状のスクリーンに青空や雲が映し出されている。
空は時間によって変化し、季節の変化もある。時には雨が、時には雪が、時には風が吹く。川の水量も、蓄積データに基づいたアルゴリズムに基づいて調整されている。
夜には、その季節のその時間の夜空の星々が輝く。それは、地球から見た空であり、地球から見た夜空である。
火星は、地球からやってくる植民が違和感を持たないように、限りなく地球に似せて環境が整備されている。しかし、当初はそっくりだった環境も、火星人たちによって破壊が進んで、今では、地球人の移民たちには受け入れがたいほど荒廃が進んでしまった。

2018年3月14日水曜日

小説「カーラヌカン」

小説というよりも、ムービーを撮る前に作成するストーリーメモ、シノプシスである。映画撮影は、シノプシスに基づいてカット割りを行い、絵コンテを作る。そして、絵コンテに基づいて撮影は行われる。浜野御大は絵がお上手なので、絵コンテを描いているはずだから、黒沢ばりに絵コンテ本を出版すれば小説よりも売れると思う。w
はてさて、このシノプシスは、撮影前に書かれたものと撮影後に書かれたものが混在しているような印象を受ける。映画にあったシーンそのままのものもあればちょっと違うシーンもあるからだ。
映画を観ているとき、観客は自分の経験と想像でストーリーを勝手に作っていって先読みしてしまうものだが、この想像はいつも裏切られることになる。とりわけ、映画「カーラヌカン」はそうだった。そこで、原作を読むことによって、あー、そういうことだったのかと作者の真意を理解することができるわけで、原作の存在理由はそこにある。
しかし、何と言ってもこの小説の最大の売りは、浜野御大のワープロ原稿を校正なしでそのまま印刷したところにある。時間の問題か、それともシズル感を出すためか?誤字脱字を数えるのをあきらめるように仕向けるのも浜野マジックであろうか?w

2018年3月12日月曜日

震災復興に寄せて

1995年 阪神大震災時、地元の西宮と隣町の芦屋で復興と町づくりボランティアを2年やって、それまでやっていた広告の仕事を辞めて小説を書き始めた。幸い、新聞社から連載小説の依頼が来た。連載小説のお題はワインと女で、毎月のギャラの50万は取材費としてワイン代に使ったので、ソムリエよりも詳しくなり、ワインバーを始めることにした。ワインバーを始めたら、スッチー、ドクター、IT系リーマンの客で繁盛した。 2000年 客で来ていたIT系企業のリーマンから、東京の学校で講座を持ってほしいと言われて、渋谷で講義し始めた。東京での講座が忙しくなったので、移住した。7年後、講師の仕事がなくなったので研修会社のリーマンになった。そして、その会社でインターネット部門を立ち上げた。 2011年 東北大震災を機に移住を考え始めた。 2015年 ど田舎で食関連の仕事を始めたいと思って火星に移住した。火星で1年デリカテッセン作りをやった。火星のお菓子屋の新商品開発をやったが、一向に商品化しないのでアルバイトを始めた。アルバイトを始めた先から、インターネット部門立ち上げてほしいと依頼されてリーマンになった。その後、火星のお菓子屋は破産して、開発費の回収はできなくなったが、3か年計画のSEO業務は順調に進んでいる。 2018年 復興が形になるのに最低10年という時間を要する。7年経った今でも復興は完了していない。地震だろうが、津波だろうが、町は復興できる。しかし、復興を妨げるのが放射能である場合、除染の完了後、復興に着手することになる。これは、原発の廃炉作業がまだ前段階にあるのと同じである。除染は完了するのか?汚染水対策は完了するのか?いつまで掛かるのか?生きているうちに終わるのか? 新たな1歩を踏み出すには、そこから先ず抜けるというのも意味のあることなのではないだろうか? 捨てる神あれば拾う神あり。鬼ばかりの火星にあっても愛に満ちた人はいるものなのである。

火星で死んだ男の物語

地球から火星にやってきた男が死んだ。何しにやってきたのか、なぜ死んだのか誰も知らない。
顔は何度も見かけたことがあるのだが、彼が一体何者であったのか誰も知らない。
結果として、彼は火星を死に場所として選んだことになるのだが、死ぬつもりでいたのかどうかすら誰も知らない。
いつまでも春の気配すら感じない火星に嫌気が差したのかも知れない。凍えた心を癒してくれる火星人がいなかったからかも知れない。
いずれにせよ、彼は、誰に看取られることもなく、この火星で不条理な終末を突然迎えることになったのだ。

「常陸大黒チーズケーキ」に関する残念なお知らせ

2016年6月に、クラウドファンディングにご参加いただきました皆様には「常陸大黒チーズケーキ」の第1号をお送りしましたが、そのときに、2016年の秋口から商品ラインに乗って一般販売されることが決まっていました。
秋になっても連絡がないのでおかしいなとは思っていましたが、しばらく待ってみようと思い、連絡はしませんでした。
ところが、昨日、2017年7月3日、コラボ先であるお菓子メーカーが自己破産し、商品化のめどが立たなくなりました。
昨年1月から6月まで、半年を掛けて開発した商品でしたが、販売されることなく終わってしまうのは実に残念なことです。
69年の歴史あるお菓子メーカーでしたが、新商品の投入に踏み切っていればと決断力と実行力のなさが惜しまれます。

写真:クラウドファンディングにご参加いただいた皆様にお送りした第1号「常陸大黒チーズケーキ」

火星のタイムスリップ

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?の作者フィリップKディックの小説、火星のタイムスリップを読んでいる。やはり火星人は未開人として登場してきて、地球人とは相容れない。w

映画「カーラヌカン」

この映画は、第1作目の浜野御大の作品「さかなかみ」のラブストーリーヴァージョンである。
「さかなかみ」では、幻のイトウを追う老フライマンが主役、カーラヌカンでは幻の女を追う有名カメラマンが主役である。
キーワードはイニシエーション(通過儀礼)、メタモルフォーゼ(変身)。そのシンボルとしての蝶。
デステニーを予言し、行くべき道を指し示す導師としての蝶。時間、空間を自由に行きかう真海の色即是空、空即是色。
真海との出会いは光の発心。真海にとってはメタモルフォーゼのトリガーである。
「愛になる」とは、何ものにもとらわれずにものごとに対峙すること、在るものを在るがままに受け入れること。即ち解脱。ビートルズの「Let it be」の世界である。
ラストカットの光の決め台詞は、うちなーぐち(沖縄語)の本来の意味として使われている。その意味とは、語源に照らせば「自然と、ひとりでに」を意味する『なんくる』、「成る」を意味する『ない』、終助詞『さー』がついたもので、「自然と(あるべき様に)なるものだ」という意味である。
しかし、ここはドリスデイの名曲でヒッチコック映画「知りすぎていた男」のテーマソング、「Que Sera, Sera」でもぴったり来そうだ。