2018年3月12日月曜日

震災復興に寄せて

1995年 阪神大震災時、地元の西宮と隣町の芦屋で復興と町づくりボランティアを2年やって、それまでやっていた広告の仕事を辞めて小説を書き始めた。幸い、新聞社から連載小説の依頼が来た。連載小説のお題はワインと女で、毎月のギャラの50万は取材費としてワイン代に使ったので、ソムリエよりも詳しくなり、ワインバーを始めることにした。ワインバーを始めたら、スッチー、ドクター、IT系リーマンの客で繁盛した。 2000年 客で来ていたIT系企業のリーマンから、東京の学校で講座を持ってほしいと言われて、渋谷で講義し始めた。東京での講座が忙しくなったので、移住した。7年後、講師の仕事がなくなったので研修会社のリーマンになった。そして、その会社でインターネット部門を立ち上げた。 2011年 東北大震災を機に移住を考え始めた。 2015年 ど田舎で食関連の仕事を始めたいと思って火星に移住した。火星で1年デリカテッセン作りをやった。火星のお菓子屋の新商品開発をやったが、一向に商品化しないのでアルバイトを始めた。アルバイトを始めた先から、インターネット部門立ち上げてほしいと依頼されてリーマンになった。その後、火星のお菓子屋は破産して、開発費の回収はできなくなったが、3か年計画のSEO業務は順調に進んでいる。 2018年 復興が形になるのに最低10年という時間を要する。7年経った今でも復興は完了していない。地震だろうが、津波だろうが、町は復興できる。しかし、復興を妨げるのが放射能である場合、除染の完了後、復興に着手することになる。これは、原発の廃炉作業がまだ前段階にあるのと同じである。除染は完了するのか?汚染水対策は完了するのか?いつまで掛かるのか?生きているうちに終わるのか? 新たな1歩を踏み出すには、そこから先ず抜けるというのも意味のあることなのではないだろうか? 捨てる神あれば拾う神あり。鬼ばかりの火星にあっても愛に満ちた人はいるものなのである。

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