2018年3月23日金曜日

「三つ葉葵と修験道について」

 

左は双葉葵、右は三つ葉葵である。
双葉葵は、上賀茂神社、下鴨神社の神紋である。葵祭は、上賀茂神社、下鴨神社、松尾大社の祭礼であり、神草である葵が使用される天照大神の復活を祝う祭である。
これに対し、徳川家の家紋である三つ葉葵は双葉葵に1枚葉を足して作られたと言われている。つまり、徳川家は賀茂氏との何らかのつながりがあることを示している。
賀茂氏といえば陰陽道の始祖であり、陰陽師安倍清明が師事したことでも知られている。そしてまた、徳川家康は陰陽師を厚遇したことでも分かる通り、やはり賀茂氏とのつながりが大きいことを示唆している。
また、徳川家康の墓がある静岡市久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう)は、賀茂氏と縁戚関係にある秦河勝(聖徳太子)の息子久能忠仁(はたのひさよしただひと)が開いた鉄舟寺(てっしゅうじ)の境内にあることから、徳川家康は自らが賀茂系秦氏の末裔であることを知っていたということになる。
賀茂氏も秦氏も水を操ることができる一族であったと言われている。水を操るとは治水技術の事を言い、平安京の造営は秦氏の治水技術なくしては達成できなかったはずである。
修験道は役行者(えんのぎょうじゃ)が始祖とされるが、彼もまた賀茂氏である。修験道と言えば大峰山の千日回峰が思い浮かぶが、修験道のメッカと言えばやはり熊野神社であろう。熊野神社は全国に3000社あるとされるが、修験者がその勧請に一役買っていた。また、修験者は幾度となく繰り返された東征の先導役として活躍してもいる。全国にある天狗伝説は斥候として活躍した修験者の姿ではないだろうか。
日本神話において神武東征の際、神武天皇を熊野国から大和国への道案内をしたとされるのが八咫烏(やたがらす)である。
聖徳太子が神道の指導者組織を陰陽師集団「八咫烏」とし、現在まで続いているといわれているが、全国の熊野神社の紋章としても使用されている。

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