2018年3月14日水曜日

小説「カーラヌカン」

小説というよりも、ムービーを撮る前に作成するストーリーメモ、シノプシスである。映画撮影は、シノプシスに基づいてカット割りを行い、絵コンテを作る。そして、絵コンテに基づいて撮影は行われる。浜野御大は絵がお上手なので、絵コンテを描いているはずだから、黒沢ばりに絵コンテ本を出版すれば小説よりも売れると思う。w
はてさて、このシノプシスは、撮影前に書かれたものと撮影後に書かれたものが混在しているような印象を受ける。映画にあったシーンそのままのものもあればちょっと違うシーンもあるからだ。
映画を観ているとき、観客は自分の経験と想像でストーリーを勝手に作っていって先読みしてしまうものだが、この想像はいつも裏切られることになる。とりわけ、映画「カーラヌカン」はそうだった。そこで、原作を読むことによって、あー、そういうことだったのかと作者の真意を理解することができるわけで、原作の存在理由はそこにある。
しかし、何と言ってもこの小説の最大の売りは、浜野御大のワープロ原稿を校正なしでそのまま印刷したところにある。時間の問題か、それともシズル感を出すためか?誤字脱字を数えるのをあきらめるように仕向けるのも浜野マジックであろうか?w

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