2014年1月21日火曜日

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年が明けて2015年1月、小沢首相は中国、韓国、ロシア歴訪の旅に出た。目的は、中国に対しては、安倍政権時にこじれた関係を修復するとともに、尖閣諸島の共有領土化、韓国に対しては、竹島の共有領土化、ロシアに対しては、北方4島の共有領土化を提案するためだった。

中国側はこの提案を快く受け入れ、南シナ海での資源開発を行う合弁企業の設立にまで話が及んだ。韓国とロシアはこれを拒否した。しかし、シベリアの資源開発に話が及ぶと、ロシアはナホトカを起点とした日本向けLNGの輸出量の
増大と交換に、資源の共同開発に関する覚書に調印するに至ったのだった。こうして、原発に依存しないエネルギー開発への布石は着々と打たれて行った。

この一連の動きに対して、アメリカは早速圧力を掛けて来た。中国、ロシアとの資源の共同開発を進めるならば、シェールガスの供給を減らすというのだ。小沢に取って、この圧力は想定済みのことだった。小沢は歴訪時に、中国、ロシア両国とシェールガスの供給に関する密約を同時に結んでいたのだった。

エネルギー確保のチャネルは、多ければ多い程良いのは誰の目にも明らかな事である。1つしかチャネルがなければ、生殺与奪の権を相手国に与えてしまうが、中国、ロシアを加え3つのチャネルがあれば、時の政情にも環境変化にも柔軟に対応して行けると小沢は読んでいたのである。

アメリカは、エネルギーでダメならとTPPで日本の食料を牛耳ろうと画策したが、農水省は国産食品のブランド化を推進することでこれに対抗した。国民は、アメリカからの輸入食品には目もくれなかった。
日本の中国、ロシアとの急接近は、アメリカの軍事面での影響力にも計り知れない変化をもたらした。日米安保条約の必要性と存在理由が改めて問い直されることになったからである。

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