2014年1月18日土曜日

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2014年8月の衆議院議員選挙には、脱原発、新エネルギー導入、安倍政権時に成立した全法案の撤廃を公約に掲げた国民党の圧勝に終わり、小沢は組閣メンバーを発表した。その中には、自民党から国民党入りした小泉進次郎の姿もあった。ここに、1993年の細川連立政権の立役者である小沢と細川のタッグが20年振りに復活することになったのである。

東京都に始まった脱原発のうねりは、都政に留まらず、全国の原発電力使用自治体に波及した。まず京都府が、そして滋賀県、福岡県がシェールガス発電所の建設を発表した。そのモデルは、東京都に建設された第1号シェールガス発電所に因み、「代々木方式」と呼ばれた。

この動きに呼応するかのように、小沢首相の元にアメリカから原子力協定破棄の通達が届けられ、代わりに原発に代わる新エネルギー協定、通称「シェールガス協定」の締結要請があった。脱原発を公約に掲げた小沢の目論みはここに達成された。しかしそれは、アメリカにおける利権構造の変化に伴う、新たな日本支配の始まりでもあった。

安倍の失墜は、そのアメリカの利権構造の変化を読み切れなかったことにある。安保条約の強化をアメリカは迫っていたが、それは決してアジア近隣諸国との争いを促すものではなかった。軍事力を誇示しあう事でお互いに牽制はするものの、経済効果こそが最優先されるべき課題であった。安倍はそれを読み間違えたのだ。

さらに脱原発の意味も読み違えた。アメリカにおける脱原発の意味とは、新たなエネルギー支配の道具が、プルトニウムからシェールガスに代わることだったのだ。その利権にいち早く気付いた小泉は、オンカロ視察から戻るとすぐに、原発ゼロを唱え始めた。すでに、原発は利権としての旨味がないことを知っていたからである。

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